かたくりかたこりかたつむり

やっぱり誤字脱字は氷山の一角

ビカムヒューマンしないマン、その矛盾に苦虫を噛み潰したような顔をする

※ネタバレはないと思う。多分。

前置き

風邪を引きましてね。
プレイしましたよ、『Detroit: Become Human』。
風邪を引いたら温かくしてゲームをするのが一番だとプラトンも言っていた気がする。
普段プレイする洋ゲーはインディーズがメインで、いわゆるAAAタイトルはほとんどやらないので新鮮でした。
豪華! 予算が潤沢ってイイネ!
ひとつひとつのチャプターの長さがちょうどよく、気付いたら1周しているという作りも巧みである。

で。
このゲームのことは好きなんだけど、同時にものすごくモヤモヤする点がいくつかあるので、ゆっくり吐き出して行きたいと思います。
まず、すごく気になっているのは、

「作中の主張と、ゲーム自体の姿勢が矛盾してない?」

です。

本題のその前に

ところでこの文章を見せたところ、「このゲームを好きなことはアピールしておいたほうがいい(意訳)」と言われましたので、私の推しモブアンドロイドについて書いておきます。

画面中央の女性型アンドロイドが私の推しです。恐らく初登場はジェリコ襲撃後の教会内だと思うのですが、どうですかこの佇まい。余裕が溢れている。1人だけ衣装がマントなのもかっこいいじゃないですか。

f:id:katakurikatakori:20190322172558j:plain
©2018 Sony Interactive Entertainment Europe. Developed by Quantic Dream.

そしてハートプラザ前でも登場。

f:id:katakurikatakori:20190322172841j:plain ©2018 Sony Interactive Entertainment Europe. Developed by Quantic Dream.

革命ルートに行った時は一瞬フィーチャーされるなど、存在感のあるモブと言えます。

f:id:katakurikatakori:20190322173135g:plain ©2018 Sony Interactive Entertainment Europe. Developed by Quantic Dream.

まあ同じ顔のお姉さんがデトロイト市警にもいるんですけどね。エマだって使い回しだからいいでしょ!

リアルな差別体験ができます。そう、DBHならね。

そもそもDetroit: Become Humanってどんなゲーム? かと言われれば、

「アンドロイドの主人公を操作して、差別される側の立場をプレイヤーが体験できるゲーム」

という側面があるわけです。

3体のアンドロイド…マーカスは革命を率いるリーダーとして、カーラは一介の無力な、しかし守るものを持った「母親」として、コナーは人間とアンドロイドの狭間で揺れる存在として、プレイヤーはストーリーを体験することになる。

作中でのアンドロイドは、かつての黒人奴隷や、ナチスドイツ政権下のユダヤ人、はたまた現代の移民を彷彿とさせる扱いを受けてます。
バスの後部に設けられたアンドロイド用区画はあまりにもあからさまだし(ローザ・パークス!)、彼らの制服の左胸につけられた三角形のロゴマークは、強制収容所の囚人の服をどうしても思い起こさせる。
街中ではアンドロイドに職を奪われた人間がデモを行っている。
モノ扱い、いやモノ以下の扱いです。
こういった体験をできるのはゲームならではだと思う。

ストーリーは、感情と自由意志に目覚めた「変異体」アンドロイドが急増し始めたところから始まる。
やがてアンドロイド達は「自分達はモノではない」と主張し始め、奴隷解放の歴史をなぞるようにストーリーが進んでいく。そう、彼らはただの道具ではない――ってちょっと待って。

一歩引いて考えてみると、これって「差別を体験できる便利な道具」としてアンドロイドを使ってることにならない?
作中で「アンドロイドはただの機械じゃない」と言わせておきながら、ゲーム自体はアンドロイドを「差別体験装置」として扱っていない?
リコールセンターのシーン(どう考えてもアウシュビッツ)なんて、生身の人間キャラクターでは描けなかったかもね。
この場合、作り手の意図の有無はさほど問題ではないのだけど、なんてグロテスクな構造なのかと薄ら寒くなる
(むしろ作り手側としては、プレイヤーに抑圧の体験をさせ、社会問題について考えて欲しかったんだろう)。

近未来SF…じゃない!

ところで、主人公は3人ともアンドロイドだけど、「アンドロイドについて」はあまり描かれていないんですよ。
あくまでも、歴史上の被差別者のメタファーとして、苦難と葛藤が描かれる。
私は当初、このゲームがSF的にあまりにもいい加減なので、何でだ!? と怒っていたのですが、何のことはない、
差別を体験できる便利な装置に「アンドロイド」というラベルを貼っただけ。
「アンドロイド」という名前をつけられた人間だっただけ。
端っからSF的正確さなどはなかったわけです。

そう考えてみると、アンドロイドの100年以上も保つというふざけたバッテリー容量や、わざわざご丁寧に人間の臓器に似せて作られた生体部品、そもそもあと20年で作中のレベルのアンドロイドは作れないだろうなどなど…その他もろもろの設定もストンと納得できた。
アンドロイドは見た目だけでなく、身体能力や知性もさほど人間とかけ離れてはいない。
彼らは間違いなく「抑圧された人間」として描かれているんだと。
その代わり、アンドロイドはアンドロイドとして描かれない。
この世界に本当の意味でのアンドロイドは1体たりとも存在しないんだ。すまない。

だいいち、ここまで技術が発達していればベーシックインカム制度のおかげで失業問題が解消していそうなものだし、新しい仕事も生まれるはず。
だから、「アンドロイドの普及によって職を追われる人間」は、その通りの意味ではなく(つまりそういう未来が訪れるわけではなく)あくまで低賃金で働く移民と、失業した単純労働者のメタファーに過ぎない。
「アンドロイド」という要素を使ったのは、「近い未来にこういうことが起こるかも」とプレイヤーに思わせるためじゃないかと思います。実際に作中の出来事が起こるという意味ではなく、身近に感じてもらうという意味で。
でもSF要素がないなら、「アンドロイド」って名称を使うのは、意図しないミスリードを引き起こすのでよくないな。

まとめ

このゲーム、アンドロイドが主人公だけど、描いている事柄は実は人間についてで、アンドロイドについてではない。
しかも結局ストーリーにも道具として使われる。
うーん、グロテスクだなあ~!

いやまあ確かに、真のアンドロイドが存在しないなら、ストーリーに道具として使われるアンドロイドもいないわけですけど。
私は機械やAIやアンドロイドといった類のものを愛しているので、ちょっと怒りますよ。ちょっとね。

ストーリーがとにかくエモさを推進力にして進んで行くので、そこに乗れる人はいい。
でも乗れない人間からすると、エモさ以外の瑕疵がとにかく目について、とてもエモどころじゃないのだ。
ただ登場人物はみんな好きなので、エモいメガネをかけて頑張って解釈しようとしてます。
シナリオチームは許さないけど(冗談です)、登場人物の皆さんには今年1年の感謝を込めてお歳暮を贈りたいですね。
やっぱりブルーブラッドかな?

某シリーズのファンから最終的に地縛霊になった経験があるので、今回は同じ轍は踏まないぞと固く誓いました。
オタク歴が長いとコケ方が上手くなる。
とりあえず呪いを解いて、楽しくなる魔法をかけることにするよ。
出来るだけ楽しく付き合いたいもんですね。
(でもまだ書くよ)