かたくりかたこりかたつむり

やっぱり誤字脱字は氷山の一角

嘘なら上手く騙してくれ! 立ち止まる感情移入と没入感―『ファイアーエムブレム 風花雪月』ザルシナリオ考

※ストーリーのネタバレを含みます。

はじめに

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以前書いたこの記事、ザル(粗がある)とタイトルにつけた割にはザルシナリオ部分の記述が少ないことに気付きました。ザルシナリオに対する言及なんだからザルでいいだろガハハ! と一旦思ったものの、整理してみるのも悪くはない。うん。やってみよう。なお、ザルザル言っていますが、一般的にはいわゆる「大味」というやつです。

ザルで何が悪いのか

シナリオがザルで何が悪いのか? これは簡単です。「ストーリーへの没入感を損ない、ゲームを先に進める気を失わせるから」に尽きます。ゲーム開始時から「(メタ的な)何で?」を連発し、2周目で放り投げた私が言うと説得力があるでしょう、そうでしょう。

シナリオがザルというのは、単純にリアリティの問題=クオリティの問題だけにとどまらず、「リアリティがない」と感じることで、プレイヤーの意識が現実に引き戻されてしまう事態を引き起こします。「このキャラ、単なるJPEGじゃん(※)」と思われてしまってはフィクションの名折れというもんです。単なるJPEGや文字列を、さも現実のように生き生きと魅せるのがフィクションなんですから。

※実際にはPNG画像だろうけど、そこはどうでもいいよ!

ただし、いくら描写がリアルでも没入できない物語はありえるので(うだつの上がらない主人公がパッとしない学園生活をただ1年間送るだけ、など)、単にリアルならいいわけでもないのが複雑なところ。これはいわゆる「フィクションにおけるリアリティ」や、リアリティラインの高低などが問題なのです。

フィクションにおけるリアリティ問題――リアリティラインはどこだ?

リアリティラインとは、フィクションの「その世界におけるリアルさ(のレベル)」くらいに思ってもらえばいいでしょう。未来から来たネコ型ロボットが便利な道具を次々取り出す『ドラえもん』におけるリアルさと、官僚や自衛隊、マスコミ、一般大衆のシーンがまるでドキュメンタリーさながらに交錯する『シン・ゴジラ』におけるリアルさが同じでないのは、誰にでも分かるかと思います。

ドラえもん』はリアリティラインが低いので、グロい人死には起こらない。『シン・ゴジラ』はリアリティラインが高めなので、四次元ポケットからどこでもドアを取り出したりはしない。

ただし、『シン・ゴジラ』は特撮映画的な嘘はつくし、というかそもそもゴジラ自体が嘘の塊だし、後半はリアリティラインがちょっとファンタジー(?)寄りになってくるのですが…。もっとも、この「作品内でのリアリティラインの変化」は重要なポイントです。

どこがどういう風にザルか

一方、どこがどういう風にザルか。これは結構難しい。ひとつひとつ、「ここがこうザルだ」と挙げていくのはいくらでも可能でしょうが、それはあまり的を射ていないように思えます。部分の総和が全体ではないように、ひとつひとつのザルさを集めてみても、それはきっと全体のザルさとイコールではない。

思うに、風花雪月は、粗いディティールの積み重ねによって信頼を失うタイプのシナリオではないでしょうか。大枠のテーマや方向性は分かりやすいし(分かりやすすぎるくらいです)、ちゃんと伝わってきます。しかし、そこに至るまでの流れがちょいちょいリアリティに欠けるため、結果的にテーマが説得力をなくしてしまう。

個人的には、現実かつシリアス事象である「政治や利害の駆け引き」「戦争など人の生死が関わる話」などには、ある程度リアリティを持たせてほしいところです。フィクションに対して「リアルじゃない」と感じると人間は冷めちゃうのですが、シリアスなストーリーであればあるほど「冷め」のダメージは大きいのです。風化雪月は一応シリアス…だよな…? 個人的にはやはり「ザル」に分類したいところですが。

ザル例(ネタバレあり)

一応ですが、私が「ザルだ!」と思った例を2つばかり挙げてみます(クリアしたのは金鹿ルートのみ)。が、いかんせん長すぎるので、さっさと次に進みたい人は次のセクションへゴー。

ケース1:ガバガバエピローグ

うちの主人公は単独エンドだったので(指輪ポーイ!)、クロード&ローレンツのコンビのエピローグを見たのですが…

ふいに姿を消したクロードに代わり、統一王国の政務を支えたのは、グロスタール家の新たな当主、ローレンツだった。彼は革新的な政策を次々に献策してフォドラの混乱を鎮めると、続けて外交にも着手。周辺国に自ら出向いて友好条約を取り付けた。

東の強国パルミラも例外ではなく“フォドラの首飾り”において国王同士の会談が実現。そこにパルミラ国王として現れたのはクロードだった。すべてはクロードが仕組み、ローレンツは授けられた策を実行していただけ……という噂も立ったが、両人は否定している。

ん? クロード、実はパルミラの王族とな? え? 私ってば、隣国の工作で成立した傀儡国家に、都合よく据えられたお飾りの王なの?

………。

スパイだ!!!! ただちにそいつをひっ捕らえろ!

かくして新しい王国もまた、親パルミラ派の国王 対 反パルミラ派の諸侯という、泥沼の戦いへと突き進むのであった…(CV. 大塚明夫

…と、エピローグの展開にリアリティを感じられないと、こんな感想になっちゃうんですね。風化雪月としてはあくまでも「うまくやったなあ、いい話だなあ、よかったよかった」で終わりたいところだとは思うんですが。

いや、だって自国の有力貴族の当主が、実は長らく敵対関係にある隣国の王族でしたーって、どう考えてもまずいでしょ。警戒しない方がおかしい。そういや敵将を領内に入れてたから安全保障のあの字もない。しかもそんな奴が、せっかく閉じてた国境を開いちゃった。これがうっかり危険人物でなくて何でしょうか。

クロードくん、嫡子に後押ししてくれた烈女様の顔に、泥パックかってくらい泥を塗りたくってないか。烈女様ならそれも承知済みか、バレたとしても4の字固めしながら何だかんだ許してくれるかもですが、借りがデカすぎる。あとやっぱり安全保障上危険すぎる。烈女様、あいつです。

もしも、パルミラがフォドラにたびたび侵攻する理由が「版図拡大」や「労働力(奴隷)目当て」「資源目当て」「港目当て」であった場合、国境を閉ざしておくのは正しすぎます。ぼんやりした野望のために国境開いてる場合じゃねえ。というか、リーガン家はその後どうなるのでしょう。家督相続を穏便に済ませてない限り、領地ごとパルミラのものになっちゃわないでしょうか。栄えてる貿易港もあるし、要所としてはぜひ欲しいとこですよね。仮に同盟貴族として存続しても同盟内のパワーバランスが崩れるのは必至で、同窓ネットワークで何とかなるレベルなのかい。どうなんだい。まあ、それが大丈夫なのが風化雪月ではあります。

または仮に、ツィリルの発言にあるように、実はパルミラ側には敵の首を取ってパーティする以外の確固とした目的はなく、「実はパルミラはそんな深いこと考えてないパリピ集団なんですよ」が真実だったとします。風化雪月ならあり得る。しかし、その情報とセットで明かされない限りは、やっぱり安全保障ガバガバ=リアリティがない! と受け取らざるを得ない。

まあ、安全保障上ザルなのもいけないとは思いますが、何よりも「色々謎だけど一応大団円だったし、よしとするか」って感じがもろもろ吹っ飛んじゃったのがよくないんですよ!

もちろんクロードの人となりとしては、味方に黙って裏で手を回すのは当然、「自分の血筋や恩師ですら使えるものは使う」スタンスのキャラではあります。パルミラ人の血を引いていることは割と早い段階で判明するし、一目でそれと分かるキャラデザです。が、「フンワリいい感じの野望実現に向けた大団円に見せかけて、実はパルミラの西方進出の足掛かりにみんなを利用してただけ」とかの深謀遠慮は、クロードはもちろん作り手としても想定してないはずなんですよね。クロード&ローレンツのエピローグでは多少含みがある表現とはいえ、あくまでグッドエンディングとして描かれている。

ストーリーがグッドエンディングのつもりでも、私がそうは受け取れずに永遠に噛み合わないので「ストーリーがガバガバだなあ」と私は思ってるわけです。

というか、深いこと考えてない相手も駆け引きってやつが通じないのでそれなりに怖い。なので、フォドラとパルミラの敵将同士で意気投合してパリピってたのはギリギリ幸いです。どっちもノリで生きてるパリピ武将でよかった。ヒルダちゃん兄・ホルストさんは優秀ということになっていますが、あくまで風花雪月内での優秀さなので油断してはいけません

単に壁がなくなれば差別が減るかといったら、そうは問屋が卸さないことはアメリカを見るだけでも分かるので、クロードくんのフンワリ野望には最初から同意しかねていました。まあ、国境=象徴としての障壁、なので、好意的に解釈すれば「目に見えない障壁もとっぱらうぜ!」なのかもしれませんが。あんまり深くは考えてないに100G。

余談ですが、騎馬民族、広大な東方の国ということから、パルミラはおそらくアジア系騎馬民族モンゴル帝国あたりがベースでしょうね。作中で乗ってるのは馬じゃなくてドラゴンだけど。その他にもヨーロッパや定住民から見て異質な文化の要素をミックスした国だと思われます。モンゴル帝国より大分昔ですが、ヨーロッパの民族大移動を引き起こしたフン族とか、そういう騎馬遊牧民のなんとなーくのイメージの集合体ぽい感じ。

さて、クロードのフンワリ野望の行き着く先は、移民優等生国家カナダか、はたまた瓦解したバルカンの火薬庫ユーゴスラビアか…。いやあ、楽しみですね。

ケース2:ガバガバ卓上の鬼神 vs. 帝国魂・竹槍(斧)女帝

クロードについては最初の印象の「腹芸できそう感」が裏切られることこそなかったものの、やっぱり適当すぎる作戦を立てた上で現場に丸投げというダメムーブをしてきます。なんでみんなついてきちゃうの。我々に人望はないんじゃなかったの。クロードが策を立てて先生が指揮を取れば勝てるよね! ってキャッキャしてるけど、ねえ、みんな『ハーメルンの笛吹き男』ってお話は知ってるかな?

戦争はリアルかつシリアス事象なので一定程度のリアリティが必要とは先にも書いた通り。とはいえ私も戦場に出たことはありませんので、参照点は「一般的なミリタリーものフィクション(またはノンフィクション)」になります。ん? ひょっとしてこの時点で基準を爆上げしすぎなのではないか?(そうだよ)

ただ、ファンタジーとはいえ戦記物をやりたがっているので、古典的な戦争、それこそ孫子とかクラウゼヴィッツなんかを引用して語られるような戦争くらいのリアルさを想定してたんです。そもそもSRPGの起源は駒を使ったウォーシミュレーションゲームですし。ストーリー中にも「正攻法で要塞を落とすには敵の3倍以上の兵力がいる」というセリフが出てきます。この手の計算に類するものでは「攻撃三倍の法則(攻撃側は防御側の3倍の戦力が必要)」なんかが有名でしょうか。戦争って、古典的には攻める方が大変なんですよね。

とまあ、さすがにそこまで凝ってはいませんが、それは許容できます。ミリオタだけが分かるレベルである必要はありません。でもクロードと来たら「橋を抜ければ何とかなる」とか「奇襲できれば五分五分」とか言い出すんですよ!? 橋の向こうが敵地であれば、こちらは橋頭堡(敵地に侵攻する時の足場)を築かなきゃいけない分めちゃくちゃ大変だし、奇襲を選ぶ時点で戦力差が開いてるのは確定(まあ、それはさしものクロードも承知していて、だからこそ奇策に出るのですが。さすがに五分は無理だと思う)。それに奇襲だってそれなりにリスクはあるんだぞ! しかも砦への奇襲! 圧倒的不利! 卓上の鬼神とは何だったのか。

私は思いました。「こいつアホだ!」と。作中では頭のいい、しかも軍事方面に秀でてるはずのキャラをそう思わせちゃったらおしまいです。ガバガバです。やはり説得力のなさは悪です。砦に侵入する際の囮作戦の感想は「クロードの割にはよく考えたな」でした。まだ女装して潜入する方が神話上の英雄っぽくてマシだったかもしれんぜ、きょうだい。

ぜんぜん私が納得できていないので、ストーリーにもいまいち入れ込めないわけです。もうここまで散々ガバガバやってきたんだし、今更マジメに囮作戦なんかやらなくても人間大砲で侵入して問題ないレベルでは? って思ったからね。

人間大砲

というか、このくらいガバガバ戦略が通用する世界だったら、親父も謎素材ナイフくらい筋肉で跳ね返して欲しかった。

しかし心配するのはまだ早い。なんと、敵方であるアドラステア帝国の女帝も結構アホだったのです。彼女は「門から北にまっすぐ行ったところ」という、セキュリティの6文字を地平線の彼方に放り投げたようなところに鎮座しています。テレビ局の方がテロ対策で複雑な構造してるだろう、それは。なかなかどうしてうちの盟主様といい勝負じゃないですか。

その女帝も、本拠地に乗り込まれて発するセリフがまるで「本土決戦こそ我らが望んだ好機!」みたいなんですよ。

エーデルガルト:……宮城にまで入り込まれたわね。けれど、これは逆転の好機でもある。彼らをまとめて討てば、戦局は一気に覆る。起死回生の一手に賭けるわ。……皆、奮戦なさい!アドラステア帝国に……勝利を!

追い詰められた軍人が陥るマインドとしてはリアルなので、ひょっとすると敵は大アドラステア日本帝国だった可能性もありますが、そういう描き方ではないのですよね。あくまで「デキる敵将」として描かれている。でも私が思い起こすのは第二次世界大戦末期の日本軍なわけです。ひどい乖離だ。いや、これは狙ってやってるのか? どっちだ? アホが揃いすぎて誰がマトモなのかが分からなくなってきています。

ミリオタだけが分かるレベルである必要はない、とは言いましたが、「実はこのシーン/セリフはミリ的に見ると割と理にかなっている」くらいのリアル強度は欲しいところです。ただ、意図的にガバガバ…もとい噛み砕いているフシもある。噛み砕きすぎて粉になってる気もしますけど。この点は後述します。

終盤になってクロードだけでなく敵もアホなことが判明してからは、「あ、クロードってこの世界基準ではメチャ頭いいほうだったんだな…」ってやっと分かってきたんですが、評価は比較によって成立するので比較対象は早めに出してほしい。それだったらやっぱり人間大砲で(以下略)

偏差値10の俺がい世界で知恵の勇者になれたワケ - ロリバス/紺乃ユウキ / 第1話 い世界 | コミックDAYS

原因は「一貫してザル」なこと

例が長くなりすぎました。まあ、そのくらいザルにつまづいたのだということで。

風花雪月のシナリオは、「ザル」というテイストで終始一貫しています。一貫性があることは一見美点のように思えますが、ことフィクションにおけるリアルさについてはそうとも言えません。

フィクションでは「ひとつだけ大きな嘘をつき、その嘘を成立させるために、その他は徹底的にリアルな描写で埋める」という手法がありますが、風花雪月はそれとは違う「全体的になんとなく嘘」タイプです。「なんちゃって中世ヨーロッパっぽい世界設定(いわゆる和製西洋風ファンタジー)」などはその象徴でしょう。

日本の中世ヨーロッパ風ファンタジーあるあるなのかもですが、中世と言いつつ実は近世ヨーロッパの要素も結構入っています。というか、せめて中世後期〜近世初期くらいまでいかないと、あまりにも現代にあるものがなさすぎたり、衛生観念が違いすぎるんですよね。話も作りにくそうだし、プレイヤーの共感を得るのも難しそう。もちろん人権概念なんてありません。それはそういう世界なのでいいとして。

風花雪月のキャラデザはかなり記号的な二次元イラストタッチ。髪の毛の色もオレンジや緑など、記号的で非現実的です。デザインだけでなく、キャラクターの性格も記号的ですが、これら自体はある程度の人数が登場するゲームであればむしろ妥当でしょう。一言で言い表せるような視覚的特徴とキャラ付けがなければ、プレイヤーは混乱してしまいます。

以上のように、作中の文化描写やキャラデザからして、リアルさを追求しまくった作品でないことは明らかです。じゃあリアルな出来事は少ないのかというとそうでもなく、戦争や政治といった、現実を連想しやすい(=プレイヤーのリアリティ要求度が高くなりやすい)要素が入ってきます。そしてその割には、相変わらずリアリティラインは低いまま。ここが問題です。

この世界ではどこまでがリアルなのか? 戦争なのにリアルじゃない、うちだけじゃなく敵方もアホ、でもキャラは死んだら戻ってこない。このミスマッチに笑えばいいのか、泣けばいいのか。

風花雪月はザルさの粒度は一貫しているのですが、むしろその一貫さが「ザル」の原因なのです。例えば先に挙げた作品で言うと、『シン・ゴジラ』前半はまるで災害ドキュメンタリーかと見紛うほどのリアルさで描かれているのに対し、後半では「40代で大統領を目指す、名門家出身の若き日系アメリカ人女性特使(※石原さとみ)」「消息不明の研究者が残した謎の暗号」「無人在来線爆弾(※自動運転の電車に爆弾を積んでゴジラにぶつけるトンチキロマン兵器)」が登場するなど、ケレン味重視の展開が繰り広げられ、リアリティラインが低めに変更されています。これは何も悪いことではなく、空想の産物であるゴジラを倒すというロマン展開をやるにあたって必要なことなのでしょう(私は若干ついていけませんでしたが…)。一方で、風花雪月では戦記物のターンに入っても(キャラの死以外は)相変わらず「なんとなく」のリアリティラインを貫くため、そこだけ急に嘘くさく見えてしまう。嘘を本当と思わせることこそ身上のフィクションにおいて、これは痛手です。

もちろん、ある程度は作品と受け手の相性の問題でもあります。しかし、それでもせめて保持しておいて欲しいリアルさというのは存在するんだよなーーー。ここが私にとって、「雰囲気ゲー」の抽象的さとは違って、風花雪月の大雑把さが魅力でない理由です。

私の場合、もちろん相性も悪かったけど、いつもザルな風花雪月ちゃんも悪かったと思います(作文)。

不足する説得力

フィクションとはそもそも嘘100%の代物。そのため嘘を本当に見せる説得力がとても大事になってきます。しかし、風花雪月は私にとって説得力が足りなかった。それが「シナリオがザルだ」という感覚となって、プレイ中に始終足を引っ張られていました。

先のエントリで、風花雪月を彷彿とさせる例に挙げたペルソナ3や、後続のペルソナ4などは、見た目のリアルさやシナリオのガバガバ程度は風花雪月とさほど変わりません。しかし、「現代の高校生活」という点ではかなりリアル志向です。リアルな高校生活に「こうだったらいいな」をふりかけた、いわば「理想の青春シミュレータ」的なところがあるゲーム。海外では、日本の高校生活が楽しめる点もウケてるみたいですね。大抵の日本人は日本での学校生活を送った経験があるので、学生生活に感情移入しやすい。また、ストーリー内の現実と嘘の区別がつきやすく、その上で嘘を楽しみやすい。逆に言えば下手な嘘はすぐバレるしプレイヤーが冷めやすいので、「高校生活」という点においてはリアル志向にならざるを得ないとも言えます。

これを踏まえると、「なんちゃって中世ヨーロッパ風ファンタジー」という、誰も暮らしたことのない世界が舞台の風花雪月は、PシリーズよりリアルさガバガバでもOKなはずです。が、さすがにその底が抜けてる…というか、説得力がゼロでもいいってわけではない。逆に身近に感じる要素が少ない分、共感も得にくいので、ある意味不利なのかもしれません。

そして、身近(リアル)に感じやすい要素のうち、戦争や政治についても、ファンタジー部分と同じくガバガバを貫くのは先述の通り。現実にオーバーラップさせたい=プレイヤーがリアルに感じやすいだろう紋章関係のエピソードについても、少なくとも私はつまづいてしまいました。あちゃあ。

作品とプレイヤーの相性問題

直喩でも暗喩でも、発信側と受け手側のベースとなる信念や学問にミスマッチがあると、喩えそのものが不適切な場合があります。私はそこに結構ハマってしまいました。

例えば日本語には「金を湯水の如く使う」という表現がありますが、これは明らかに水が豊かな土地の民族の語彙です。乾燥した地域の人たちに直訳して聞かせたら、「惜しみなくじゃんじゃん使う」みたいな意味には決して取らないはず。そういう(私にとっての)機能不全が随所にあるイライラは結構キましたね。

紋章や社会の動きに対する引っ掛かり

紋章のメタファーにおけるミスマッチさについては以前のエントリで結構書いたので、詳細はそちらを参照していただくとして。大まかに言うと社会学的な部分でめちゃくちゃ引っ掛かってしまいました。

でも、紋章によって表現される抑圧や呪縛には、現実世界とややズレがあります。現実世界では、王や貴族の血も下々と同じく赤いことがバレてしまいましたが、風花雪月では紋章という形で「青い血」に動かぬ根拠があり、才能が保証されています。ん? 根拠があって才能もあるなら、身分制は肯定してもよくない? 「青い血」が本物なら、当然として万人は平等ではないし、平民はその地位に甘んじるべきでしょう……そのため、現実世界に対する問題提起ではなく、「教会による支配と紋章の存在はおかしい」という、あくまで作中世界の設定のみに対する問題提起だと解釈した方がスッキリしてしまうんですよ。

紋章に絡めて世襲主義や血統の呪縛を批判しながらも、その対立軸としてメリトクラシー能力主義)気味な考えが出てきてしまうので、いやそれ現代社会でナウ揉めてるやつでは…? 作中の葛藤が解決した先の問題が現実世界で起こっているので、さてはエンディングのその後を…よく考えていないな!?

『ファイアーエムブレム 風花雪月』レビュー、ではない何か 風花雪月よ、お前もか〜雑LOVE・古さ・ザルシナリオのトリプルアタック〜 - かたくりかたこりかたつむり

また、俺、壁をぶっ壊してえんだ…(物理的にも心理的にも)というクロードの野望に対しても同様で、私の社会心理学知識が発動して「いやガッバガバやん(※似非関西弁)」て最初から賛同しかねてました。ここでもミスマッチ。「いやガッバガバやん」で後半をずっと突き進む居心地の悪さよ。もちろん差別解消のために互いを知ることはすごーーーーく大事なのですが、ただ接触するだけだとむしろ悪感情が育まれることが分かってるんですね。その辺も考えて発言させてくれないと、どうしても「こいつアホだな」で終わっちゃいます。まあ、そこをリアルに寄せずフンワリ何となくOK、が風花雪月っぽいっちゃぽいのですが。

西洋風ファンタジーリテラシーの有無

ところでね! 言っておきますが私はね! 日本の西洋風ファンタジーのゲームをプレイしたことがほぼないんですよ! 頭の中に参照できる類似作品がないの! 要するに西洋風ファンタジーリテラシーを持ち合わせていないの!

あと、他の二次創作をするにあたってミリタリーもののお勉強をしたことがあり、あとやっぱり二次創作のために中世ヨーロッパの文化レベルについてもちょっと予習をしたこともあり、その他の知識がファンタジーものの知識のなさと不釣り合いなのも不幸でした。

風花雪月は「何となくちゃんぽんファンタジーな世界である」と明示されてはいますが、実は日本の西洋風ファンタジー世界を理解するにも最低限のリテラシーが必要なのです。漫画を読むのに「コマの読み進め方」や「漫符」などのリテラシーが必要なのと同じですね。例として、浦沢直樹はキャラが困ったり焦ったりしている記号としての汗を描かないそうですが、私は焦ったキャラの横っちょで水滴が飛ぶ描写などに「何これ?」といちいち言ってる人のようなもんです。

例えば、プレイ開始して最初に戸惑ったのが「中世ヨーロッパ風の鎧の戦士たちの中で、フランベルジュを持った古代ローマ風の装束の女性が、蛇腹剣を持った敵と戦ってる」ことでした。

装束に時代のズレがあることはもちろん(これは後に理由が判明しますが)、武器も現実とファンタジーが入り混じっています。フランベルジュは中世ヨーロッパの剣、蛇腹剣は日本の西洋風ファンタジーのロマン武器です。どこ!? リアルの基準どこ!? ストーリー的に理由があるものと、ファンタジーだからという理由のものが混在しているので、中世ヨーロッパ風リテラシーがないと実はかなり理解が難しいシーンじゃないかと思います。

一方で魔法とかもバンバン撃ってますが、これはそもそもがファンタジー100%なのであんまり気になりません。あえて言えば、火薬がないのかは気になりましたが。交易はしているものの、もしかしたらフォドラにはないのかもしれません。あったとしても、古い型の銃すらなくて原始的な大砲しかないか。

※メタ的に考えると、銃が強力になってくるにつれてフル装甲の鎧は役に立たなくなり、そもそも剣や槍や弓の戦闘から離れてしまうので、まあ銃は出せんよな。ミリタリーものフィクションでは、現代の戦闘手段をなんらかの理由をつけて無効にし、生身の兵士同士の戦いに持っていくことで面白くしているものが結構あります。やっぱり白兵戦じゃないと面白くないんだね…。逆に『アイ・イン・ザ・スカイ 世界一安全な戦場』なんかは、戦場から遠く離れた会議室での駆け引きがメイン。葛藤は偽善ぽいけど。

万人受けほど難しいが、いかんせんハードル下げすぎ問題

こうして分析めいた文章を書いていると「風花雪月は分かりやすく/プレイしやすくすることで、間口を広げようとしているな」ということがぼんやり分かってきます。ただね。「間口を広く、ハードルを低くしたかったんじゃないか」という印象を抱いたからこそ、「低くしすぎじゃね?」「広くしすぎじゃね?」という疑問が出てきます。

間口を広くするのはいいけど、一般論として最低限の説得力は欲しい。リアルでなれば完全に嘘に振り切って欲しい。かと言ってガチの必要はない(普通の人がヒく)。万人受けほど難しいのですよね。

風花雪月は、リアル寄り部分を意図的に噛み砕いているものの、若干やりすぎなんじゃないかという気がします。「敵の支配下にある橋を抜けることが重要」「まともにやり合うには戦力が足りないから奇策を用いる」という点は至極もっともなんですよ。ただ、それを親切心からか噛み砕きすぎて、もはや粉末にしてしまった結果、出てくるのが「橋を抜ければ何とかなる」とか「奇襲できれば五分五分」とかのガバガバセリフなのかもしれません。風花雪月全般に思うことですが、プレイヤーの理解力をあまりに低く見積もってませんかね? いくら万人受けを狙うとはいえ、一周回ってちょっと失礼だと思う。

キャラデザや性格づけが過度に記号的なのも、認識・理解しやすくしようとする意図が前面に出ていますが、好き嫌いが分かれるのも確か。私も普段はここまであまりにもあからさまなのは好みませんが、人数が多いので許容範囲と思ってます。

複雑なことを分かりやすく説明するのがいいことだという風潮がありますが、「簡単」に変換する際に正確性は犠牲になりがちなんですよね。で、多分私はその「簡単にしようと噛み砕いた結果、こぼれ落ちたものや生まれた齟齬」に強く反応しちゃったんだと思います。

難しいことを簡単にしすぎた結果、実際との齟齬が生まれてしまうと、私は全く理解できないのかもしれない。最近では『デトロイト:ビカム ヒューマン』がバッチリそれでした。

「体験するメディア」であるビデオゲームとしての完成度は間違いなく高い。しかし、シリアスな題材を手癖とあるあるとステレオタイプでもって進めてしまうので、シリアスゲームとしてはかなり首をひねらざるを得ない作品。哲学(主に大陸哲学)もかなり要素として入っているものの、こちらも噛み砕きすぎて齟齬があるか、逆に分かりづらいものになっている。

まあ、要するに間口が広くハードルが低いがゆえに、それは同時にNot for meの人(私など)もたくさん入れてしまうということで…。

とはいえ「雰囲気ゲー」がけなされる理由として「ちゃんと説明されない(ように見える)」がよく挙がるように、1から100まできちんと分かりやすく説明してほしいというのが大方の需要であるとすれば、風花雪月のやりようは正しいのかもしれません。私は好みませんけど。

そして感情だけが残った

中世ヨーロッパ風世界観も、戦争や政治も(私にとっては)リアルじゃない。私の個人的価値観により紋章のメタファーも不適切。残るリアルさはキャラクターの感情だけになってしまいました。でも、風花雪月にとってリアルであるべきなのは、実はキャラの感情だけなのではないでしょうか?

記号的とはいえ、身近に感じられたり運命に翻弄されるキャラクターたちに、プレイヤーが感情移入するように作られています。これはすごく正しいし、むしろここは死守されててよかったかなとは思います。キャラゲー的ではありますが、ここでは侮蔑的含意のない意味での「キャラゲー」です。

数々の古典作品は、現代人にも通ずるところがあるからこそ語り継がれているわけですが、その要素のひとつが「人間の感情」という、時代も文化も超えた普遍性を持つものです。そういう点に限って言えば、紋章関係の人物描写はフィクションとして十分に成立しています。前述のように、紋章の設定とメタファーとしての使い方に疑問が出てきた時点で、残念ながら私の感情移入はそこで終わってしまいましたが。感情移入も論理に断ち切られる時があるんだよなあ。

余談:ルート分岐と、各ルートで判明する真相到達までの時間的長さ

これはシナリオよりももっと大枠の話だし、ガバガバというよりは「周回つれえな」と思った話です。

風花雪月にはルートが4つあり、それぞれで判明する真相が違う模様。これ自体は必ずしもダメではないです。

ただ、公式に真エンドと定められたルートはないので、あるルートでエンディングを迎えても「あれってどうなったんだっけ?」「これでいいんだっけ?」というモヤモヤを引きずったままエンディングになってしまう。周回に繋げるための「引き」としての謎というよりは、消化不良感の方が勝るというか。

私がクリアしたのは金鹿ルート。いくつか結構気になる点はありつつ、いちおう大団円で終わるので後味は悪くはない方でしょうか。ただ、終盤に後付けで「実は平和を脅かす敵がまだいたんだ!」「な、なんだってー!」みたいな展開は、正規ルート感が削げるのでちょっとマイナスでしたが。一応、神話に語られた出来事の真相は明らかになりますが、なんかオマケ感はありますね。ゆるーくレア様の隠している謎を追ってはいたものの、他のルートで明かさない謎を割り振られた感じがちょっとします。

もちろん、「ある立場から見えているものが、別の立場からは全く見えない(or 別物に見える)」という表現としては分かります。現実にそれは正しい。ただ、ゲームシナリオや全体の構造として適切かというと若干微妙でした。単純に冗長だし。例えば『ニーア オートマタ』の周回前提の視点切り替え(+判明する謎)は見事だったので、単純にやりようの問題かも。

プレイ初期からあからさまに謎は割と出てくるのに、その真相を明かすタイミングはやけに遅い。そのため「だからあれはどうなったんだ」というストレスを抱えながらプレイすることになります。なおかつ4周ある全ルートをやらないと謎の全貌が分からないようなので(それでも謎は残るらしい)、真相が判明するタイミングはリアル時間的にもかなり遅い方と考えていいでしょう。

また、本来の学級の生徒のエピソードがそのルートと相性がいいように思うので、逆に言うと他学級生徒のスカウト・外伝と相性が悪い。ストーリーが分岐するなら、スカウトシステムはない方がすっきりしたかもしれません。スカウトなしの方が強制的に同窓生全員と敵対することになるし、そっちの方がいいような…。でも支援会話がストーリー進行によってストップがかかるので、できるだけ全員スカウト・生存させたくなる矛盾。ただ、他学級時と自学級時で同一キャラでも異なる運命を辿る点は面白いんですよね。分岐することで出てくる違和感と、分岐するからこその面白さが同居しちゃってるのが若干惜しい。

おわりに

なぜザルがいけないのかと言えば「没入感・感情移入が削がれて正気に戻ってしまう」からだし、風花雪月がなぜザルかというと「リアリティーラインが一貫してザル」「(間口を広くするためか)シリアスかつ複雑な要素を噛み砕きすぎ」というのが私の結論です。あと私に西洋風ファンタジーゲームのリテラシーがなく、一方で風花雪月が噛み砕いている方面の知識があった。なおかつ、そこから導かれる考えが、ストーリーの主張と終始ズレていた。

とまあ、一言で言えば「ドチャクソ相性が悪かった」のですが、前回のエントリであまり掘り下げなかった部分だったので、仔細に考える機会があってよかったんじゃないかな。もうキレてないし。この経験を糧にゲーム選定の基準を研ぎ澄ましときましょう。もちろん雑LOVEは許さないよ!

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